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続歯記列伝

続歯記列伝の画像です
 何事においてもうわべではなく、自分の意思をもってそれを貫き通すことにより、本物になっていく-。1995~2004年まで、ザ・クインテッセンス誌上にて長期連載された「列伝」を集大成した一冊。歯科界に従事した「本物」を追い続け、著者が紹介した124名の生涯をとおし、歯科の近代史を描く。
序章

青木貞亮
 歯科レントゲン、歯科補綴、学校歯科、国鉄嘱託医など多彩な道を地道に歩んだ人
荒谷真平(須賀昭一)
 広い視点からの歯の研究に意欲を燃やし続けた二人の基礎歯科医学者
飯野輔司
 ジグザグな道を辿ったアイディアマン
生田信保
 独学力行、地道な研究を続け検定出身で国立大学医学部教授になった信念の人
池田明治郎
 学校歯科保健の向上に力を尽くした篤学の人
石上健次
 歯科技工から入り補綴臨床を地道に追求し補綴臨床に徹しそれを貫いた人
石原寿郎
 何時も物事に誠実に向き合いこつこつとそれに突き進んだが不運だった惜しまれた人
磯 仙策
 歯科界の大久保彦左衛門といわれた煩さがた
井上 真
 盛業中の開業を中断し33歳で米国留学した東京都歯科医師会会長
今田見信
 イーストレーキの紹介者 社会歯科医学会の創設に関わり歯科ジャーナルに打ち込んだ人
巌 真教
 帝大医学部出身で歯科理工学の教授となった変り種 歯科理工学の原理主義者
岩垣 宏
 洋行帰りでない矯正歯科のパイオニア エスプリに輝く人
岩淵静三
 社会歯科学の第一走者の一人であったが,歯科界から消えた人
上田喜一
 学校歯科、産業歯科、フッ素と歯科衛生と深く関わった筋の通った温厚な衛生学者
梅本芳夫
 救癩事業に挺身した口腔細菌学者
榎 恵 
 矯正歯科に新風を導入した器用な幅広い教養の人
榎 智光
 学校歯科巡回の先駆者,学校歯科技師,学校歯科医の道を辿った誠実な臨床歯科医
大久保信一
 静かなコスモポリタン 底力を秘めていた温厚な紳士
大竹和夫
 歯科医療推進の道を突き進んだ口も八丁,手も八丁の県歯科医師会長
大塚豊美
 本格的な歯科技工所を創設した苦学力行の人
大西栄蔵
 歯科衛生行政の推進確立に情熱を傾けた九州男児
岡田治夫
 臨床医で地域歯科保健活動に挺身し、研究所を主宰していた人
緒方終造
 大阪にこの人ありと知られた緒方一族の傲驕の人
岡本清纓
 児童歯科・口腔衛生・学校歯科のパイオニア そして歯学部長
沖野節三
 Gysi咬交理論の紹介者、社団法人日本歯科医師会最初の専務理事
小貫 伸
 歯科教育器械の供給に力を尽くした裏方さん
小野 巌
 歯科衛生士教育に熱意を注いだ市井の病理学者
小野寅之助
 大阪歯科大学の研究,教育の精神的支柱となった苦学力行・寡言の人
加來素六
 創始者問田亮治の後を継いで九大歯学部の種をまいた人
鹿毛俊吾
 歯科医業の合理化を説き歯科技工士養成に力を尽くした苦学力行の人
金森虎男
 東京高等歯科医学校から東大歯科学講座を経て札幌大歯学部創設の悲願を志した人
上条雍彦
 歯科臨床に結びつく口腔解剖学を目指して一筋に進みその口腔解剖学を仕上げた人
亀沢シズエ
 和服姿をみたことがない火の玉のような肝っ玉おばさん
河越逸行
 優れた臨床歯科医で江戸時代の頭蓋骨の""骨運に恵まれた""研究者
河邊清治
 局部義歯から入った広い視点を持った補綴臨床家
北 博正
 父子二代にわたって歯科界を陰で支えた衛生学者
木所正直
 波乱を幾度か乗り越え新しい道を進んだ けれんやはったりのない誠実な歯科衛生学者
清永盛樹
 九州の清永天皇といわれた人
国本朝雄
 制約の多い社会保険歯科医療をよりよく、より速く、より楽に乗り切ろうと努めた頑固な臨床歯科医
鯉沼茆吾
 職業性歯科疾患に着目した職場から入った衛生学者
神津文雄
 苦渋を乗り越え郷土史研究に打ち込みカリカリちゃん運動を推進した人
高麗日出男
 12年間、岩手県を歯科巡回自動車で駆けめぐり、公衆歯科衛生現場に全力を尽くした快男子
小室史郎
 常に何かを求めて弛まなかった誠実な臨床歯科医の道を歩んだ人
近藤三郎(柴田 信)
 歯科基礎医学研究に突き進んだ検定出身の最後の二人
坂 初彦
 遅く歯科に入った真っ当な臨床医 歯科界の参謀の役を果たした人
榊原勇吉
 花沢鼎に傾倒し正しい歯科医療の実戦に取り組み,それを守り通し[歯の番人]を目指した臨床医
佐藤貞勝
 歯列・咬合のシリアルな研究に打ち込み医療管理の分野にも足跡を残した地味で誠実な臨床歯科医
佐藤新一
 日本におけるペニシリン開発に陰の力を尽した隠れた誠実な口腔細菌学者
佐藤 精
 臨床経験17年後に再度の米国留学をした東京都歯科医師会会長
柴田 信(近藤三郎)
 歯科基礎医学研究に突き進んだ検定出身の最後の二人
松風憲二
 覚めた目で歯科医療を見つめ歯科材料生産の道を強かに突き進んだ人
須賀昭一(荒谷真平)
 広い視点からの歯の研究に意欲を燃やし続けた二人の基礎歯科医学者
須川 豊
 いわゆる斑状歯がフッ素症歯であることを突き止めた,衛生部長を歴任した人
杉山不二
 歯槽膿漏科の創設、歯科衛生士の養成に最初に取り組んだ歯科大学総長
鈴木鶴子
 何時でも紺絣姿で矢立でメモを取っていた英語ペラペラの名物おばーちゃん
鈴木 勝
 芯の通った調停役を勤め,歯科医学教育に心を注ぎ日本大学総長を勤めた人
砂田今男
 ケレンやはったりもなく,力まないで臨床を中心に据えて誠実に歩んだ端麗の人
関 敏
 37年にもわたって日本歯科医会の裏方さんを勤め口腔衛生普及活動推進に寄与した人
瀬戸俊一(湯浅泰仁)
 日歯・東歯を出て同年に文部省歯科病院に入りそれぞれの道を歩んだ二人
副島侃二(三宅久夫)
 鹿児島医専・鹿児島医大歯科でそれぞれ斑状歯を追及した二人
園山 昇
 GPの立場からの口腔外科を考えてその流れを追及した誠実な人
高木圭二郎
 変転のなか、受け身で誠実に務めを果たし足跡を残した端麗の人
高津 弌
 口腔衛生キャンペーンから入って歯科ジャーナルにつきすすんだ人
高槻正男
 日本歯科医師会赤字問題の処理もあたり,故事に通じた誠意篤実の人
高橋新次郎
 矯正歯科の分野で器械派から自然派の流れに添ってアカデミックに矯正歯科の専門性を追求した人
田丸将士
 社会学的視点から学校歯科に取り組んだ活動家
辻本春男
 社会的視点から歯科医療をみつめそれを整然とした論理で展開して[スコールの長雨]と言われた弁舌で繰り広げ実践した人
照内 昇
 写真術修行から入って歯科レントゲン学を築いた人
栃原義人
 僻地診療、学校歯科 スタディクラブなどの道を拓いた熊本の気骨者
豊田 實
 日本歯科医専を陰で支えた温厚篤実な学人
中井武一郎
 口腔細菌学のパイオニアで裏方に徹した誠実な人
永井 巌
 二つの歯学部の学部長を誠実に勤め,メスを離さなかった人
中尾 清
 トルストイ心酔者 帝大から役人を経て歯科材料の国産化を一筋に進んだ人
中川市郎
 臨床の傍ら研究に力を注ぎ強い自負を持って唯我独尊の道を歩んだ人
中原 實
 するどい感性をもった反権力の孤高の人 画家の日本歯科医師会会長
中村平蔵
 終生メスを離さなかった誠実な口腔外科医
長屋 弘
 名古屋の歯科界で中心的に活動した名物男
柳楽達見
 京城歯科医学専門学校を創り、それを育て、それに思いを込めていた人
奈良隆之助
 新しいジャンルの歯科ジャーナルに関わった秋田の文化人歯科医
新津保英橘(堀江銈一)
 日本ではじめての市立学校歯科センターの専任歯科医師
西塚忠義
 外科医指向から歯科に進んだガンツ・ジッヘルマン
二之宮千代(水島チヨ子)
 歯科医学教育に足跡を残した二人のおちよさん
沼田久次
 X線パノラマ撮影を発想し民俗学的研究まで独創的な発想で一生を歩んだ人
野口俊雄
 予防歯科学の研究から入って口腔衛生普及に幅広いパイロットの役を果たした人
野口英世
 初期に歯科に関わりがあり立志伝中の人として広く知られアフリカで死んだ細菌学者
野村順之助
 東京高等歯科医学校を出て歯科医業管理の分野で活動し,足跡を残した人
長谷川慶蔵
 聖路加国際病院に終始 APDFからAPROへの推進者
長谷川二郎
 歯科理工学黎明のころにその道に入り,歯科臨床と繋がりを追い求めた人
Lee Edward Batler
 日本におけるビル内開業の元祖 親日米人歯科医師
濱野松太郎
 臨床研修の元祖そして日本口腔衛生学校の創設もした人
林 了
 8ヶ月間の参議院議員でエポックな足跡を残した快男児
原田良種
 観察、考察、反復実行をモットーとし、臨床一筋に貫き通した人
深田英朗
 ホールボディーの考えをベースにして小児歯科に新しいコンセプトを打ち立てようと突き進んだ人
福島秀策
 大人の風格をもち支える人で終始した人
総山孝雄
 苦渋の道の後、歯科医学教育に遅れて参入し、ユニークな頑張り屋のコスモポリタン
堀 武
 女子歯科医学教育と歯科衛生士教育の苦難の道を誠実に歩んだ人
堀江銈一(新津保英橘)
 補綴臨床一筋に漁夫一生・竿一本をモットーとした人
堀内 清
 善意の奉仕を続けたロータリアンの臨床家
正木 正
 基礎,臨床,歯科医政のどれにでも発言できた叛骨精神に裏打ちされた歯科のエンサイクトペディア
松尾 保
 歯科医療の向上を心に置き実務と理論の調和を実践した健康保険の生き字引
松本茂暉
 Angleに心酔し、矯正歯科の普及に力を注ぎ矯正歯科学校設立を目指した頑固もの
眞鍋満太
 サムスの水先案内人 歯科医学障害研修のパイオニア
丸森賢二
 本物の臨床歯科医を目指してまっしぐらに進み歯科保健指導に風穴を開けた人
水島チヨ子(二之宮千代)
 歯科医学教育に足跡を残した二人のおちよさん
水野銈太郎
 歯科医療の向上を念願して社会保険歯科医療行政に情熱を傾けた人
美濃口 玄
 上水道弗素化を実現したが悲願の京大歯学部設立を果たせずに終わった不運の人
宮入秀夫
 モデル保健所歯科からスタートしてパブリックヘルス・マインデッドを口癖にしていた人
三宅久夫(副島侃二)
 鹿児島医専・鹿児島医大歯科でそれぞれ斑状歯を追及した二人
向井英子
 婦人歯科医師のシンボルとして天寿を全うした人
向井喜男
 口腔衛生教育活動一筋に学校歯科と公衆歯科衛生の分野に大きな足跡を残した人
村岡 博
 臨床歯科医としてナソロジーに触れ幅広く歯科臨床の道を突き進んだ情熱の人
本村静一
 口腔衛生普及活動に絶えずユニークなアイディアを実践し走り抜けた人
森崎益夫
 人並みはずれたエスプリを持った歯科ジャーナルの隠れたロングライター
森田五郎
 モリタを支えた歯科産業界の長老
柳生嘉雄
 歯科医学教育改革の先鞭を手がけた口腔衛生学の長老
矢崎正方
 ""腕でこい""に反撥して歯科補綴学の理論構築に力を尽くした
山口秀雄
 [歯に従わずして歯に立つ]として補綴の道に突き進み,ひとつの道を開いた人
山崎 清
 飄々として歯科界を通り過ぎた頑固者のコスモポリタン
山田 茂
 矯正歯科から入って絶えず慣行についてのアンチテーゼの姿勢を持った人
山村新之助
 臨床家の立場で歯牙発育研究所を創立し運営した篤学の人
山本為之
 絶えず臨床に工夫を重ね卒後研修事業の推進に力を尽くした誠実な臨床歯科医
湯浅泰仁(瀬戸俊一)
 日歯・東歯を出て同年に文部省歯科病院に入りそれぞれの道を歩んだ二人
弓倉繁家
 大阪大学歯学部創設に殉じた努力の人
渡邊 悌
 地味だがそのときどきの新しい分野に足を踏み入れ歩んできた人

前作・歯記列伝登場人物紹介
引用文献一覧
人名索引
著者略歴

序章

青木貞亮
 歯科レントゲン、歯科補綴、学校歯科、国鉄嘱託医など多彩な道を地道に歩んだ人
荒谷真平(須賀昭一)
 広い視点からの歯の研究に意欲を燃やし続けた二人の基礎歯科医学者
飯野輔司
 ジグザグな道を辿ったアイディアマン
生田信保
 独学力行、地道な研究を続け検定出身で国立大学医学部教授になった信念の人
池田明治郎
 学校歯科保健の向上に力を尽くした篤学の人
石上健次
 歯科技工から入り補綴臨床を地道に追求し補綴臨床に徹しそれを貫いた人
石原寿郎
 何時も物事に誠実に向き合いこつこつとそれに突き進んだが不運だった惜しまれた人
磯 仙策
 歯科界の大久保彦左衛門といわれた煩さがた
井上 真
 盛業中の開業を中断し33歳で米国留学した東京都歯科医師会会長
今田見信
 イーストレーキの紹介者 社会歯科医学会の創設に関わり歯科ジャーナルに打ち込んだ人
巌 真教
 帝大医学部出身で歯科理工学の教授となった変り種 歯科理工学の原理主義者
岩垣 宏
 洋行帰りでない矯正歯科のパイオニア エスプリに輝く人
岩淵静三
 社会歯科学の第一走者の一人であったが,歯科界から消えた人
上田喜一
 学校歯科、産業歯科、フッ素と歯科衛生と深く関わった筋の通った温厚な衛生学者
梅本芳夫
 救癩事業に挺身した口腔細菌学者
榎 恵 
 矯正歯科に新風を導入した器用な幅広い教養の人
榎 智光
 学校歯科巡回の先駆者,学校歯科技師,学校歯科医の道を辿った誠実な臨床歯科医
大久保信一
 静かなコスモポリタン 底力を秘めていた温厚な紳士
大竹和夫
 歯科医療推進の道を突き進んだ口も八丁,手も八丁の県歯科医師会長
大塚豊美
 本格的な歯科技工所を創設した苦学力行の人
大西栄蔵
 歯科衛生行政の推進確立に情熱を傾けた九州男児
岡田治夫
 臨床医で地域歯科保健活動に挺身し、研究所を主宰していた人
緒方終造
 大阪にこの人ありと知られた緒方一族の傲驕の人
岡本清纓
 児童歯科・口腔衛生・学校歯科のパイオニア そして歯学部長
沖野節三
 Gysi咬交理論の紹介者、社団法人日本歯科医師会最初の専務理事
小貫 伸
 歯科教育器械の供給に力を尽くした裏方さん
小野 巌
 歯科衛生士教育に熱意を注いだ市井の病理学者
小野寅之助
 大阪歯科大学の研究,教育の精神的支柱となった苦学力行・寡言の人
加來素六
 創始者問田亮治の後を継いで九大歯学部の種をまいた人
鹿毛俊吾
 歯科医業の合理化を説き歯科技工士養成に力を尽くした苦学力行の人
金森虎男
 東京高等歯科医学校から東大歯科学講座を経て札幌大歯学部創設の悲願を志した人
上条雍彦
 歯科臨床に結びつく口腔解剖学を目指して一筋に進みその口腔解剖学を仕上げた人
亀沢シズエ
 和服姿をみたことがない火の玉のような肝っ玉おばさん
河越逸行
 優れた臨床歯科医で江戸時代の頭蓋骨の""骨運に恵まれた""研究者
河邊清治
 局部義歯から入った広い視点を持った補綴臨床家
北 博正
 父子二代にわたって歯科界を陰で支えた衛生学者
木所正直
 波乱を幾度か乗り越え新しい道を進んだ けれんやはったりのない誠実な歯科衛生学者
清永盛樹
 九州の清永天皇といわれた人
国本朝雄
 制約の多い社会保険歯科医療をよりよく、より速く、より楽に乗り切ろうと努めた頑固な臨床歯科医
鯉沼茆吾
 職業性歯科疾患に着目した職場から入った衛生学者
神津文雄
 苦渋を乗り越え郷土史研究に打ち込みカリカリちゃん運動を推進した人
高麗日出男
 12年間、岩手県を歯科巡回自動車で駆けめぐり、公衆歯科衛生現場に全力を尽くした快男子
小室史郎
 常に何かを求めて弛まなかった誠実な臨床歯科医の道を歩んだ人
近藤三郎(柴田 信)
 歯科基礎医学研究に突き進んだ検定出身の最後の二人
坂 初彦
 遅く歯科に入った真っ当な臨床医 歯科界の参謀の役を果たした人
榊原勇吉
 花沢鼎に傾倒し正しい歯科医療の実戦に取り組み,それを守り通し[歯の番人]を目指した臨床医
佐藤貞勝
 歯列・咬合のシリアルな研究に打ち込み医療管理の分野にも足跡を残した地味で誠実な臨床歯科医
佐藤新一
 日本におけるペニシリン開発に陰の力を尽した隠れた誠実な口腔細菌学者
佐藤 精
 臨床経験17年後に再度の米国留学をした東京都歯科医師会会長
柴田 信(近藤三郎)
 歯科基礎医学研究に突き進んだ検定出身の最後の二人
松風憲二
 覚めた目で歯科医療を見つめ歯科材料生産の道を強かに突き進んだ人
須賀昭一(荒谷真平)
 広い視点からの歯の研究に意欲を燃やし続けた二人の基礎歯科医学者
須川 豊
 いわゆる斑状歯がフッ素症歯であることを突き止めた,衛生部長を歴任した人
杉山不二
 歯槽膿漏科の創設、歯科衛生士の養成に最初に取り組んだ歯科大学総長
鈴木鶴子
 何時でも紺絣姿で矢立でメモを取っていた英語ペラペラの名物おばーちゃん
鈴木 勝
 芯の通った調停役を勤め,歯科医学教育に心を注ぎ日本大学総長を勤めた人
砂田今男
 ケレンやはったりもなく,力まないで臨床を中心に据えて誠実に歩んだ端麗の人
関 敏
 37年にもわたって日本歯科医会の裏方さんを勤め口腔衛生普及活動推進に寄与した人
瀬戸俊一(湯浅泰仁)
 日歯・東歯を出て同年に文部省歯科病院に入りそれぞれの道を歩んだ二人
副島侃二(三宅久夫)
 鹿児島医専・鹿児島医大歯科でそれぞれ斑状歯を追及した二人
園山 昇
 GPの立場からの口腔外科を考えてその流れを追及した誠実な人
高木圭二郎
 変転のなか、受け身で誠実に務めを果たし足跡を残した端麗の人
高津 弌
 口腔衛生キャンペーンから入って歯科ジャーナルにつきすすんだ人
高槻正男
 日本歯科医師会赤字問題の処理もあたり,故事に通じた誠意篤実の人
高橋新次郎
 矯正歯科の分野で器械派から自然派の流れに添ってアカデミックに矯正歯科の専門性を追求した人
田丸将士
 社会学的視点から学校歯科に取り組んだ活動家
辻本春男
 社会的視点から歯科医療をみつめそれを整然とした論理で展開して[スコールの長雨]と言われた弁舌で繰り広げ実践した人
照内 昇
 写真術修行から入って歯科レントゲン学を築いた人
栃原義人
 僻地診療、学校歯科 スタディクラブなどの道を拓いた熊本の気骨者
豊田 實
 日本歯科医専を陰で支えた温厚篤実な学人
中井武一郎
 口腔細菌学のパイオニアで裏方に徹した誠実な人
永井 巌
 二つの歯学部の学部長を誠実に勤め,メスを離さなかった人
中尾 清
 トルストイ心酔者 帝大から役人を経て歯科材料の国産化を一筋に進んだ人
中川市郎
 臨床の傍ら研究に力を注ぎ強い自負を持って唯我独尊の道を歩んだ人
中原 實
 するどい感性をもった反権力の孤高の人 画家の日本歯科医師会会長
中村平蔵
 終生メスを離さなかった誠実な口腔外科医
長屋 弘
 名古屋の歯科界で中心的に活動した名物男
柳楽達見
 京城歯科医学専門学校を創り、それを育て、それに思いを込めていた人
奈良隆之助
 新しいジャンルの歯科ジャーナルに関わった秋田の文化人歯科医
新津保英橘(堀江銈一)
 日本ではじめての市立学校歯科センターの専任歯科医師
西塚忠義
 外科医指向から歯科に進んだガンツ・ジッヘルマン
二之宮千代(水島チヨ子)
 歯科医学教育に足跡を残した二人のおちよさん
沼田久次
 X線パノラマ撮影を発想し民俗学的研究まで独創的な発想で一生を歩んだ人
野口俊雄
 予防歯科学の研究から入って口腔衛生普及に幅広いパイロットの役を果たした人
野口英世
 初期に歯科に関わりがあり立志伝中の人として広く知られアフリカで死んだ細菌学者
野村順之助
 東京高等歯科医学校を出て歯科医業管理の分野で活動し,足跡を残した人
長谷川慶蔵
 聖路加国際病院に終始 APDFからAPROへの推進者
長谷川二郎
 歯科理工学黎明のころにその道に入り,歯科臨床と繋がりを追い求めた人
Lee Edward Batler
 日本におけるビル内開業の元祖 親日米人歯科医師
濱野松太郎
 臨床研修の元祖そして日本口腔衛生学校の創設もした人
林 了
 8ヶ月間の参議院議員でエポックな足跡を残した快男児
原田良種
 観察、考察、反復実行をモットーとし、臨床一筋に貫き通した人
深田英朗
 ホールボディーの考えをベースにして小児歯科に新しいコンセプトを打ち立てようと突き進んだ人
福島秀策
 大人の風格をもち支える人で終始した人
総山孝雄
 苦渋の道の後、歯科医学教育に遅れて参入し、ユニークな頑張り屋のコスモポリタン
堀 武
 女子歯科医学教育と歯科衛生士教育の苦難の道を誠実に歩んだ人
堀江銈一(新津保英橘)
 補綴臨床一筋に漁夫一生・竿一本をモットーとした人
堀内 清
 善意の奉仕を続けたロータリアンの臨床家
正木 正
 基礎,臨床,歯科医政のどれにでも発言できた叛骨精神に裏打ちされた歯科のエンサイクトペディア
松尾 保
 歯科医療の向上を心に置き実務と理論の調和を実践した健康保険の生き字引
松本茂暉
 Angleに心酔し、矯正歯科の普及に力を注ぎ矯正歯科学校設立を目指した頑固もの
眞鍋満太
 サムスの水先案内人 歯科医学障害研修のパイオニア
丸森賢二
 本物の臨床歯科医を目指してまっしぐらに進み歯科保健指導に風穴を開けた人
水島チヨ子(二之宮千代)
 歯科医学教育に足跡を残した二人のおちよさん
水野銈太郎
 歯科医療の向上を念願して社会保険歯科医療行政に情熱を傾けた人
美濃口 玄
 上水道弗素化を実現したが悲願の京大歯学部設立を果たせずに終わった不運の人
宮入秀夫
 モデル保健所歯科からスタートしてパブリックヘルス・マインデッドを口癖にしていた人
三宅久夫(副島侃二)
 鹿児島医専・鹿児島医大歯科でそれぞれ斑状歯を追及した二人
向井英子
 婦人歯科医師のシンボルとして天寿を全うした人
向井喜男
 口腔衛生教育活動一筋に学校歯科と公衆歯科衛生の分野に大きな足跡を残した人
村岡 博
 臨床歯科医としてナソロジーに触れ幅広く歯科臨床の道を突き進んだ情熱の人
本村静一
 口腔衛生普及活動に絶えずユニークなアイディアを実践し走り抜けた人
森崎益夫
 人並みはずれたエスプリを持った歯科ジャーナルの隠れたロングライター
森田五郎
 モリタを支えた歯科産業界の長老
柳生嘉雄
 歯科医学教育改革の先鞭を手がけた口腔衛生学の長老
矢崎正方
 ""腕でこい""に反撥して歯科補綴学の理論構築に力を尽くした
山口秀雄
 [歯に従わずして歯に立つ]として補綴の道に突き進み,ひとつの道を開いた人
山崎 清
 飄々として歯科界を通り過ぎた頑固者のコスモポリタン
山田 茂
 矯正歯科から入って絶えず慣行についてのアンチテーゼの姿勢を持った人
山村新之助
 臨床家の立場で歯牙発育研究所を創立し運営した篤学の人
山本為之
 絶えず臨床に工夫を重ね卒後研修事業の推進に力を尽くした誠実な臨床歯科医
湯浅泰仁(瀬戸俊一)
 日歯・東歯を出て同年に文部省歯科病院に入りそれぞれの道を歩んだ二人
弓倉繁家
 大阪大学歯学部創設に殉じた努力の人
渡邊 悌
 地味だがそのときどきの新しい分野に足を踏み入れ歩んできた人

前作・歯記列伝登場人物紹介
引用文献一覧
人名索引
著者略歴

続歯記列伝

  • 著者

    榊原 悠紀田郎

  • 出版社

    クインテッセンス出版

  • ページ

    356ページ

  • サイズ

    A4判変型

  • ISBN

    978-4874178522

  • 価格

    7,920円(税込)

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